やっと…師匠(坂上さん)から解放されました!😁
I’m dead tired.(マジでクタクタです)
でも、自由っていいなぁと、しみじみ感じているTakuya(Такуя)です。🤣
Hey! Nice to meet you. I’m Takuya from Suita City, Osaka.
I work at a Type B Continuous Employment Support Center.
…つい、英語で自己紹介してしまいました。
改めまして、日本語で。
こんにちは、Takuya(Такуя)です。大阪府吹田市に住んでいます。
就労継続支援B型事業所「わっはっは 吹田」で働いています。
はじめに
毎朝、鏡に向かって自分に言い聞かせている言葉があります。

「相手の目で見て、耳で聞いて、心で感じる」
正直に言うと、まだまだ共感力が足りないと感じる毎日です。でも、この合言葉を唱えることで、少しずつでも相手の気持ちに寄り添えるようになりたいと思っています。
今日は、アドラー心理学の視点から「怒り」について考えてみたいと思います。
怒りの向こう側にあるもの
アドラー心理学では、怒りは「二次感情」と呼ばれています。つまり、怒りの奥には、悲しみや不安、寂しさといった「一次感情」が隠れているのです。

怒りの目的
アドラーは、怒りには以下のような目的があると考えます。
- 支配:相手をコントロールしようとする。
- 優位性:争いで優位に立とうとする。
- 権利擁護:自分の権利を守ろうとする。
- 正義感の発揮:自分の正義を主張しようとする。
例えば、パートナーが約束の時間に遅れてきたとき。表面的には「なんで遅れるんだ!」と怒りを感じるかもしれません。でも、その奥にあるのは「大切にされていないのかな」という悲しみや、「何かあったのでは」という不安かもしれません。
私も昔はシステムエンジニアをしていて、0か1か、白か黒かの世界で生きていました。感情も「正しい」か「間違っている」かで判断してしまいがちでした。でも今は、感情にも様々な色合いがあることを学んでいます。
Iメッセージという小さな一歩
怒りを感じたとき、相手を責める「Youメッセージ」ではなく、自分の気持ちを伝える「Iメッセージ」を意識するようになりました。
「あなたはいつも遅刻する」ではなく、「私は約束の時間を大切にしたいと思っています」といった具合に。

ただ、正直なところ、まだまだ無意識にできるほど器用ではありません。感情が高ぶったときは、つい「なんで!」が口から出てしまうこともあります。でも、それでいいんだと思うようになりました。完璧を目指すより、少しずつ進めばいい。
真ん中を歩くという選択
昔の私は、感情を抑え込むか、爆発させるか、両極端でした。でも今は「真ん中を歩く」と決めています。

怒りを感じたときも、その感情を否定せず、でも振り回されることもなく。まず深呼吸をして、「今、私は何を感じているんだろう?」と自分に問いかけます。
すると、怒りの奥にある本当の気持ちが見えてくることがあります。「認めてもらいたかった」「理解してほしかった」「大切にしてもらいたかった」そんな、とても人間らしい感情が。
感情は敵ではない
アドラー心理学を学んで気づいたのは、感情は敵ではないということです。怒りも含めて、すべての感情は私たちに何かを教えてくれています。

怒りは「何か大切なものが脅かされている」というサインかもしれません。その大切なものが何なのかを知ることで、自分をより深く理解できるようになります。
おわりに
今も私は、毎日が学びの連続です。感情に振り回される日もあれば、うまく向き合える日もあります。
でも、以前のような0か1かの世界から、グレーゾーンを受け入れる世界へと歩みを進めています。完璧でなくても、少しずつでも、自分らしく歩んでいく。それが今の私のライフスタイルです。
「相手の目で見て、耳で聞いて、心で感じる」
明日の朝も、この合言葉と一緒に新しい一日を始めようと思います。そして、怒りの奥にある本当の気持ちに、もう少し優しく耳を傾けてみようと思います。

このブログ記事が、感情と向き合うことに悩んでいる誰かの心に、少しでも寄り添えることを願っています。